なぜポーランド(ワルシャワ)がゲーム開発の聖地になったのか?

気になったことをAIに書いてもらう

どうでもいいことばかりが気になって仕方がない人間です。ライブの時だって目に入ったものや突如として思い出されたことで頭がいっぱいになって歌詞を飛ばしたり、ギターを間違えたり。

最近はAIが身近になってきて、気になったことを聞いては「ふむふむ」と満たされる日々を送っています。

それで、僕なりに気になったテーマについてAIに書いてもらって「ふむふむ」しているところを皆さんに見てもらう変態的なコンテンツを作ることにしました。

内容自体はAIに書いてもらうので大したものじゃないです。多分、誰かの役にも立ちません。

第一弾は 「なぜポーランド(ワルシャワ)がゲーム開発の聖地になったのか?」 です。僕はもう何年もゲームをしていません。何でそんなことが気になったのかもよく分かりません。

AIによるコラム

ここから「読んでみて」の前までは、AI(Claude)が書いた文章です。公開前に事実関係を確認していますが、諸説あるものはそのまま載せ、脚注で補足しています。

ショパンの街の、もう一つの顔

ワルシャワと聞いて思い浮かぶのは、ショパンやキュリー夫人、あるいは戦禍から煉瓦一つまで復元された旧市街かもしれない。だが世界のゲーム好きにとって、この街はまず『ウィッチャー』の生まれ故郷である。開発元の CD PROJEKT はワルシャワに本社を置き、同じ街には『This War of Mine』の 11 bit studios、『Painkiller』の People Can Fly も拠点を構える。

もっとも、聖地はワルシャワ一都市に限らない。クラクフには Bloober Team が、ヴロツワフには Techland が大きな拠点を持つ。これは首都の現象というより国全体の現象であり、ワルシャワはその象徴と見るのが正確だろう。では、なぜポーランドだったのか。

「遊べない」時代の飢え

話は社会主義時代の 1980 年代にさかのぼる。西側のゲームはまともに輸入されず、家庭用コンピューターは外貨で買い物ができる国営店「ペヴェクス」で手に入れる高級品だった。ポーランドでは英国や日本と違い、米国製の Atari の 8 ビット機が広く普及したことでも知られる。

正規品がない以上、ソフトは複製で出回った。カセットテープやフロッピーが市場で売り買いされ、ワルシャワのグジボフスカ通りのコンピューター市は、後に国内最大級の「ソフトの市場」として知られるようになる1。ソフトウェアの著作権を正面から扱う法律ができたのは、体制転換後の 1994 年のことだ。

褒められた話ではない。しかし、遊べないはずの若者たちが西側のゲームに大量に触れ、中身をのぞき、自分でも作ってみようとした。欠乏が好奇心を育てたという逆説は、たしかにここにある。

「売る」から「作る」へ

CD PROJEKT は 1994 年、マルチン・イヴィンスキとミハウ・キチンスキの 2 人が創業した。始まりは開発ではなく、輸入ゲームの販売である。

海賊版が当たり前の国で正規品を売るにはどうするか。彼らの答えは、海賊版にはない付加価値だった。1999 年に発売した『バルダーズ・ゲート』のポーランド語版では、膨大なせりふを翻訳し、有名俳優を声優に起用し、箱に付録を詰め込んだ。結果は数か月で 1 万 8000 本という、当時としては異例のヒットになったという2。翻訳と吹き替えで他社の作品を隅々まで扱った経験は、やがて自社開発の下地になっていく。

物語という鉱脈

もう一つの土台が、文学である。アンジェイ・サプコフスキの短編「ウィッチャー」は 1986 年、SF 誌『ファンタスティカ』のコンテストで 3 位に入ったのを機に世に出た。スラヴの民話を下敷きにした、陰影の濃い大人の幻想譚は国民的な人気を得て、2007 年にゲーム化される。

2011 年には当時のトゥスク首相が、訪問したオバマ米大統領に『ウィッチャー 2』を贈った。ゲームが国の顔として扱われた象徴的な場面である。

戦争の記憶も、作品の芯になった。サラエボ包囲戦に着想を得て、戦場で生き延びる市民を描いた『This War of Mine』は、2020 年に高校の推奨図書のリストに加えられた3。ゲームが「読むもの」として教室に入ったのは、世界でもほとんど例がない。

小さな国内市場が、世界を向かせた

経済の理屈も見逃せない。理工系教育の厚みに加え、西欧より抑えた人件費で腕の立つ技術者を集めやすかったことは、よく指摘される要因だ。そして、ポーランド語の市場は世界から見れば小さい。だからこそ、最初から世界で売る前提で作るしかなかった。

業界団体などがまとめた 2023 年の報告書によれば、国内のゲーム開発・パブリッシャーは約 500 社、働く人は 1 万 5000 人を超え、売り上げの 9 割台半ばを国外が占める4。ワルシャワ証券取引所には多くのゲーム会社が上場し、2020 年には CD PROJEKT の時価総額が一時、仏 Ubisoft を抜いて欧州のゲーム会社で首位に立った。

聖地をつくったもの

遊べない時代の飢え、海賊版と張り合うための工夫、苦難の歴史がはぐくんだ物語、そして世界に出るしかない市場の小ささ。どれか一つではなく、それらが重なったところにポーランドのゲーム産業は立っている。聖地とは、恵まれた場所ではなく、足りないものを抱えた場所に生まれるのかもしれない。

読んでみて

これくらいどうでもいいと感想も何もないね。

とはいえ、ストレスなく、むしろワクワクしながら読めました。AIが書く文章がいいとか、内容がめちゃくちゃ面白いとかじゃなくて、いや個人的に興味深くはあるんですけど、これくらい役立て方の分からない情報だと逆に読めちゃうみたいな。電車とかタクシーに乗った時、全然興味ない広告でもめちゃくちゃ見ちゃうみたいな。

いいんです。これがしたかったんだから。これをずっとやってきたんだから。

第一弾ということでホントにお試しでやってみました。やっぱり改めてコンテンツにする意味は見出せないけど、意味がなければないほど楽しいものってのもあって……。

つまるところ、個人的には何だか楽しいのでしばらく続けます。自分で作るのはサムネくらいだし。

誰かの役に立つようなことがあればやめます。意味が出てきても続けるのが辛くなってやめると思います。

フリーランスになってしばらく 「つくります。それしかできません。」 を掲げてやってきました。言っておきたいのは、これはものづくりとかじゃないです。僕はちゃんと意味のあるものや役に立つものも、たまにつくります。

生きてると気になることは尽きないもので、次回は 「なぜ広島県大竹市には『なかしま』さんが多いのか?」 についてAIに書いてもらった感想をお届けします。

Footnotes

  1. グジボフスカ通りの市は、1990 年代に最も盛んだったとする資料が多く、80 年代の様子には諸説あります。CD PROJEKT の創業者たちがここでソフトを売っていたという逸話もよく語られます。 ↩

  2. 1 万 8000 本を「発売初日」の数字とする記事もありますが、「数か月で」とする資料に従いました。 ↩

  3. 正確には、哲学・倫理・社会学・歴史などの授業で使う、必修ではない推奨リストです。対象年齢の関係から 18 歳以上の生徒に限られます。 ↩

  4. ポーランド企業・技術開発庁(PARP)などがまとめた『The Game Industry of Poland – Report 2023』による数字です。2025 年版では、従事者数が初めて減ったと報告されています。 ↩